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休暇の日記

11月12日 

 

 休みは充実していた。家でゆっくりしていると、フラットメイトたちが絡んでくるので、ゆっくりするためにも、いろいろ忙しく過ごした。

 

休みの初日は、バターソースとチキンカレーを半日かけて作った。

 

二日目から三日目の午前中まで動画編集。

 

三日目の午後は、Newtownに散歩に行った。レコード屋、リサイクルショップ、アンティークショップ、服屋などを冷やかした。レコード屋のおじさんに、いい感じのローカルミュージシャン、侘び寂のあるライブハウス、Young Henry’s Breweryというビール屋などを教えてもらった。教えてもらったビール屋を尋ね、フレッシュなペールエールをグイッと飲んで喉を潤した。

 

四日目は、パキスタンのビザとか、航空券とかについて調べた。シャランの給料日だったので、トルコ料理屋で晩御飯を食べ、バーでビールを飲んだ。

 

五日目、トランプさんが当選。フラットメイトのサードが僕が作ったチキンカレーに10点満点中8点の高得点をくれた。

 

六日目、ソーシャル・フットボールに参加。アフリカ系のお兄さんがなかなかうまかった。足が長いし、リズムも違って面白かった。気温が高くて頭がくらくらした。試合が終わってからラスタマンのお兄さんと、リンゴ、洋梨、パイナップルなどを食べた。

 

七日目は筋肉痛が酷かった。インターネットでサッカー日本代表の試合を久しぶりに観戦した。ハリルホジッチ監督の下、ワールドカップでベスト8位まで行ってほしい。

 

八日目はフラットのお掃除当番だったので、まず掃除をした。それから、スティービー・ワンダーのコンサート映像を観た。スティーブのテンションが最高潮に達していた。仕事を得るために、いくつかのレストランにレジュメを送った。明日、トライアルを受けに行くことになった。楽しみだ。

カレー作り

11 月 6 日 


 今日は、チキンカレーと、バターソースを作った。動画も撮っていたが、カメラの電池
残量が 15%になったところで撮影が止まっていて、またしても、いいところが撮れていな
かった。自分で何かしているところを自分で撮影するには相当な余裕が必要だ。当たり前
だが、誰かに撮ってもらうほうがいい。

 

 そして、チキンカレー、バターソースともに、あまりいい出来ではなかった。まずチキ
ンカレー。ホールカルダモンがなかったので、チャーイ用のパウダーを使った。シナモン、クローブも同様である。これらは、肉を煮込むときに、肉臭さを消すスパイスである。パウダーを使った結果、完成したチキンカレーは、舌をしびれさせる感じがするものになってしまった。食べたフラットメイトたちは、「母ちゃんが作るスパイスたっぷりのカレーみたいだ。」と言っていた。


 バターソース用の玉ねぎは、4 分の 1 に切り、繊維の方向に垂直に切ったものを炒めた。こうすることで繊維が壊れ、玉ねぎの水分が飛びやすくなる。これは、『カレーの奥義』という本からの情報である。チキンカレー用の玉ねぎだったら、これでいいと思うしかし、バターソースの玉ねぎは、ミキサーで「ガーッ」とやったやつのほうがいいと思った。バターソースはトロトロでサラサラのほうがいい。玉ねぎ炒めも、もう少し粘れば、焦げ臭いけど苦くない状態に近づいたと思う。

 

 次はもう少しうまいカレーが作れると思う。今日のカレーもそこまで悪くはなかった。鼻に抜ける臭いとかは本物っぽかった。続けて作ろう。

ジョニーミッチェルを聴きながら

11月5日

 

 昨日、インディライトという3、4か月働いていたインド料理テイクアウェイ屋が閉店したので、今はニート状態である。

 

 最後のシフトが終わる頃に、オーナーがやって来て、「好きなものをいくらでも持っていっていいよ。」と言ってくれたので、使っていた包丁、お玉、鍋、スパイスなどをもらった。加えて、失業手当として、2週間分の給料をもらった。

 

 閉店前に余っていたナーンの生地で20枚ほどのナーンをぶっ通しで焼いた。窯に突っ込む右手が徐々に熱を帯び始めたが、リズムよく焼いていたせいか、少々アドレナリンが出てきて、熱さは気にならなくなった。すべてを焼き終わると右手は真っ赤になっていた。焼いたナーンはフラットメイトたちのために持って帰った。

 

 一緒に働いていたシェフが、タンドーリーシェフの仕事を紹介してくれると言っているので、近々、正式にタンドーリーシェフとして働き始められるのではないかと思う。シェフが言うには、そこまで流行っていない店なら、僕の実力でタンドーリーシェフとして働けるだろうとのこと。自分でも働き先を探そうと思う。

 

 来週は仕事を探しながら、家でカレーを作りまくろうと思う。チキンカレー、バターチキン、チキンビリヤーニ、サンバル、ゴビーマンチュリアンくらい作りたいと思う。サンバルは野菜の蒸し焼カレー。ゴービーマンチュリアンは衣を着けて揚げたカリフラワーをチリソースと醤油で味付けし、片栗粉でとろみをつけた中華風カレーである。

 

 家に着いてから、少し休憩し、みんなの帰りを待った。昨日は、持って帰った十数枚のナーンをフラットメイトたちが食べる様子の撮影を試みた。撮影をはじめ、5分経ち、ケータイのデータがいっぱいになってしまい、撮影が中断されていた。一番重要なみんながナーンを食べているシーンや、みんなが気を使って大きめにリアクションしてくれているシーンは撮影できていなかった。ショックである。

 

 サードというパキスタン出身のフラットメイトは、僕が作った料理をガツガツ食べてくれる。動画を撮ろうとした時も、撮り始めるまで待ってという僕のお願いを無視し、つまみ食いしていた。食いっぷりがいい人は気持ちいい。

 

 次はバターソースと、チキンカレーを作る動画を撮影したいと思っている。ジンジャーペースト、ガーリックペースト、トマトピューレ、トマトソース、シッケンドクリームパプリカパウダーを買って来て、明日作ろうかなぁと思っている。使おうと思っているスパイスは、コリアンダー、クミン、ターメリックガラムマサラ、パプリカパウダー、カルダモン、シナモン、クローブ、メーティーリーフ、胡椒などである。

 

 今、サードが帰って来て、「昨日のナーンある?」と聞いてきた。うれしい奴である。明日もサードに喜ばれるようなカレーを作りてぇと思う。

中村博士

10月30日

 

 中村修二博士の「最低5年間は留学が必要」という記事が村役場から送られてきた。東京国際理解セミナーから2か月たって、この記事についてどのように考えるか。という課題が添えてあった。

 

 “日本がここから立ち直るために最重要となるのが、英語力だと思います。世界標準を作る雑談に参加したり、日本の問題点を外に出てはっきり認識するためにも、学生時代に最低4から5年海外留学する仕組みを導入するしかないと本気で考えています。”

 

 正直、百姓の息子である僕には全く関係のない話に聞こえる。しかし、こういうメールが村長から送くられてくるわけなので、関係がある話なのだろうと思う。僕の意識は低い。

 

 「日本がここから立ち直るために」というところが特に僕に関係ないように思える。しかし、それを「僕が世界で活躍するために」というふうに変えれば関係があるように感じられるし、博士が言う「最低5年間は留学が必要」という意見も、正しいように思える。

 

 つまり、僕は後3年、海外で武者修行を積めば、英語でスムーズに雑談ができるようになるであろうということである。

 

 先週の金曜日に、スコットランド人の友達、スコットから電話がかかってきて、「セントラルのバーで飲んでるから、来て!」と誘われた。行ってみると、スコテッィシュ、イングリッシュ、オーストラリアン、ニュージーランダーが5、6人で話しているテーブルにスコットは座っていた。

 

 「おいスコット、おれ以外全員ネイティブかよ。」と思ったが、「ビール飲めば大丈夫。」と自分に言い聞かせ、酔っ払いたちの会話に加わった。終始、僕だけ浮いていたような感じはあった。

 

 数時間経ち、ダーリンハーバーのテクノ音楽がかかるクラブに行こうという話になった。僕はテクノとかハウスとかエレクトロとか言う音楽が好きではないので、「ニュータウンR&Bとかファンクとかロックとかヒップホップとかジャズとか聞きに行く方がよくない?」と提案したが、マイケルというおとなしいイギリス人が「いいね!」といっただけで即却下となった。音楽が共有できないのは少し寂しいと思う。

 

 マイケルはもう長いことピアノを弾いているらしい。ショパンの一番が好きと言っていたが、僕がショパンについて知っていることはほとんどなかったので、「あのなんか寂しいやつでしょ?」という知ったかぶりをしておいた。「夜に音楽聞きたくなったら、どこに行くの?」と聞くと、「感情的な音楽だったらなんでもいいよ。テクノはビートだけだから好きじゃないんだよね」といっていた。続けて、「これからどこ行くの?」と聞いてきたので、「一人でニュータウンに行こうかな。」と適当に答えておいた。

 

 結局、ハンバーガーを買い、家に向かう電車に乗り、食べながら帰った。つまらなくはなかったけど、特別に楽しい夜ではなかった。そんなに楽しい週末が過ごせていない原因の一つに、英語が不自由なことがあると思う。あと、なんとなく友達とどこかに飲みに行くというのもよくないと思う。一人で聞きたい音楽を聴きに行く方がいいと思う。来週末はそうしよう。

 

 なんとなく一人で夜に外出するのを尻込みしているのは、経験が足りなくて、自信がないからだと思う。だから、中村博士が言うように、あと3年くらい海外生活を経験したら、もっと異文化を理解できると思うし、それ以外の文化と、日本の文化と、欧米文化の違いも分かってきて、どこの国でも快適に過ごせると思う。

 

 中村博士はどこかの違うインタヴィューで、日本人技術者のまじめさやチームワークは世界一だと言っていた。だから、あと3年、できれば今から続けて3年、異文化の中で過ごしながら、日本人技術者になれれば、将来、世界で通用する日本人技術者になれるかもしれない。

ザヒール

10月27日

 今日も9時半から3時半まで、テイクアウェイショップでバイト。

 

 まず、タンドールに着火。要らない紙に火をつけタンドールに放り込み、ガスをオンにする。うまくガスの噴出口にとどかなかったので、鉄の棒で突いて火を噴出口のほうへ追いやる。「ボン!」という音と共に着火完了。蓋を閉め、釜全体を温める。

 

 ターメリックライスの用意に移る。でかい鍋にバケツに2杯半のお湯を注ぎ、コンロにかける。ターメリック、黄色い着色料、ベジタブルオイルを入れかき混ぜる。カルダモン、クローブ、シナモンを投げ入れる。バスマティ米を研ぎ、鍋に投入。

 

 ナーンの生地を用意する。一昨日捏ねた生地を、握りこぶしより半径が0.5センチくらい小さいくらいの大きさに丸めて、トレーの上に並べていく。テーブルに小麦粉を敷き、適量の生地を鷲掴みにし、「ペシッ!」と小麦粉の上にたたきつけ、小麦粉がついた側が外側になるように丸めていく。それを30個作る。

 

 ナーンの生地を用意しながら、パニールとジャガイモを揚げる。共に2センチから2.5センチ四方に切る。いや、パニールは1.5センチ四方くらいだ。パニールは、豆腐のように見えるが、硬いので、手の平ではなく、まな板の上で「グッ!」と力を込めて切る。それぞれ揚げる。ナーンの生地を4個作るたびに、パニールとジャガイモの揚げ加減を確認する。

 

 そうこうしている間に、ターメリックライスが炊き上がる。重い鍋をシェフのラジ君と流しまで運び、笊に移す。柄のついた鍋ですくって、笊に移していく。半分くらい移し終わったら。鍋を丸ごと傾けて、「どかっ!」とターメリックライスを笊に流し込む。笊に上から冷たい水を注ぎ、ターメリックライスが粘々になるのを防ぐ。

 

 チキンティッカが足りないことが判明したので、開店前に作ることに。昨日作ったチキンのマリネを太い鉄の棒に刺していく。(マリネは、ヨーグルト、ジンジャー❓ガーリックペースト、チリパウダー、ガラムマサラ、メーティーリーフ、赤い着色料、ベジタブルオイル、塩で作ったタレで和える。)それをタンドールの底までいれ、淵に寄りかかるように置く。腿肉6切れをそれぞれ10本の棒に刺し、合計60切れ焼く。ジュージュー音がして、焼き色がついて来たら、向きを変える。

 

 開店前の僕の仕事はだいたい終わったので、鍋やボールやトレーを洗いながらチキンティッカをチェックする。焼きあがったらチキンティッカを一口サイズに切る。洗い物を終え、20分程度の小休止。シェフが作ったパーラク❓パニールを炊きたてのターメリックライスと共に食べる。ほうれん草の鼻に抜ける臭いがやばい。

 

 食べ終わったので、一本タバコを吸いに行く。ビルとビルの間のぬるい空気と安いタバコを深く吸い込む。

 店に戻るとお客が来始めたので、ナーンを焼く。プレーンナーン、ガーリックナーン、チーズナーン。ガーリックナーンは生地を窯にくっつけるときに使う、丸くて厚いクッションのようなものにくっ付いてしまうことがあるので、ガーリックの水分を生地につけないように注意。チーズナーンはタンドールの壁にうまくくっ付かないことがあるので、壁の熱くなっている部分、つまり、釜の下の方、もしくは、一定時間以上ナーンを焼くために使っていない部分に張り付ける必要がある。

 

1 2時くらいまでにプレーンナーン7枚、ガーリックナーン3枚、チーズナーン2枚を焼いておく。

 

 12時過ぎ、近くで働くビジネスマンのお客が来店し始める。レジを手伝いながら、ナーンを焼き、ライスを温め、チキンティッカを温める。タンドーリーロティーも焼く。タンドーリーロティーは、タンドールで焼いたチャパティである。1時半くらいまではまあまあ忙しい。ので、記憶が曖昧である。し、細かく書いていたらきりがないので省略。

 

 キッチンの掃除、洗い物を済ませ、終了。タバコを吸って3時44分のNorth Sydney発、Blacktown行きの電車に乗る。

 

 家に帰ると、ザヒールがチキンコルマのようなものを作っていた。フラットメイトが作る料理も興味深い。出来上がったチキンコルマのようなものに、さらにミントソースをかけて食べていた。カシュミール出身のアルタフが作るラムロガンジョシュを食べたときにはスリナガルに旅行に行った時の記憶が蘇った。

 

 ザヒールは11月末か、12月にラホールに帰るらしい。「オーストラリアで、パキスタンのビザってとれるかなぁ?」と訊くと、「大使館にメールしなよ。」と言われたので、ザヒールが言った通り、メールした。返事が楽しみである。

 

 今日は、ウクレレ弾いて、Get Down観て寝よう。今、9時。

ゴム草履で図書館

10月25日

 

 先週の金曜日に、バイト先の店長がインドに帰り、代わりにハリヤーナ出身のシェフが来た。いかにもずる賢そうな風体をした男だが、今のところ店はうまく回っている。

 

 4時頃にバイトが終わり、家に戻り、一服。夕日を浴びて寝たくなったが、重い腰を上げ、なんとか図書館にたどり着くことができた。これからは頻繁に図書館に通うようにしようと思っている。

 

 先週、先々週は、だらだらしすぎていた。時間がもったいなかった。バイト以外の時間は、ビールを飲みながらNetflixでGet Downという70年代終わりのブロンクスが舞台のヒップホップドラマを観ていた。Netflixは、売れっ子ITエンジニアのシャランのアカウントで観ている。月に14ドルで5つのガジェットから視聴可能らしい。

 

 Netflix Indiaでは、詩聖タゴールの自伝ドラマもやっている。シャランと一緒に見て、タゴールについて議論しなくては。

 

 先週の日曜日は、シャランとインドのお祭り、ディワリを祝いにParramatta公園に行った。屋台がたくさん出ていたのに、ビールはどこにも見当たらなかった。シャランは、長い列ができた南インド料理を見つけ、はしゃいでいた。僕は並ぶのが嫌だったので、メニューを見るふりをして、そのままキッチンをのぞき込み、ヒンディー語で、「イドリーセット1つもらえる?」と訊いた。すると数秒後に、僕とシャランのもとにはイドリーセットが来ていた。オーストラリアに住んでいるインド人たちは、脇が甘い。シャランはイドリーにむしゃぶりついていた。

 

 メインステージでは、寸劇やバラタナティヤムなどのみんなが楽しめる感じの、出し物が行われていた。サブステージでは、ヒッピーのような恰好をした人たちが、「どっぽん、ど、ど、ぽん」というドラムのリズムに合わせ、「ハレクリシュナ、クリシュナ、クリシュナ」と歌っていた。

 

 ディワリの花火を観賞して、帰る頃に、パーンというインドの噛みタバコを見つけたのでシャランと共に味わった。お酒もタバコも吸えなかったのでパーンがありがたかった。「パーンを食べると消化が促進される。」と言ってシャランは全て飲み込んでいた。

 

 シャランはいつも恥ずかしがって、人に声を掛けたがらないが、僕がインド人に声を掛けて、自己紹介をしているときに、僕の説明をシャランがしてくれて、聞き手側はそれをスムーズに理解してくれるので助かっている。今週末もまた、シャランと街ぶらする予定。

ビリヤーニ

 9時半から3時半のシフトを終え、酒屋でビールを買い、飲み、図書館に来ている。

 

 今のバイト先が2週間以内につぶれることになったので、新しいバイト先を探さなくてはいけない。

 

 家の近くにあるステゥーデント・ビリーヤーニというレストランが気になっている。パキスタンのカラチにあるお店の系列店であるらしい。今晩ルームメイトと行く約束をしている。めちゃくちゃ楽しみである。

 

 カシュミールやパキスタンでは、ビリヤーニをビリヤーニュイだったか、ビリヤーニャエだったか忘れたが、少し違った発音をするらしい。そして多分、現在のインドより西で生まれた料理だから、ウルドゥー話者はヒンディー話者がビリヤーニと発音することに対して、ダサいと思っている。

 

 日本人でビリヤー二のおいしさを知っている人はまだまだ少数だと思う。でもなんとなくメジャーになり始めている気配もある。Youtubeにもたくさんビリヤーニに関する動画が上がっている。

 

 シドニーで会った板前のしょうさんもビリヤー二が好きだと言っていた。ビリヤーにも定番料理なのであの伝統的で独特な料理法を勉強したい。壺でビリヤーニを炊き込みたい。

 

 かつてデリーに住んでいた時には、つるつるの壺に入ったビリヤー二の出前を取ったことがあった。今日の晩御飯のビリヤーニも壺に入っているといいな。