インディアンレストランの経済

5月28日 

 

 シフト終了後に、「6月からお給料をください。」と単刀を直入。するとタブレジさんは困った表情をし、「君にお金は払えない。」と言う。タブレジさんの予想外の反応に僕も少し焦り、「見習いをしている間は払わないが、仕事を覚えてきたら払うと言ったじゃないですか。」と抗議。しかし、「そんなことを言った覚えはない。勉強するためのみ、君は私のレストランに来ることができる。我々のビジネスが苦しいこともわかっているだろ。」と言って一歩も譲らない。娘のヌゼラちゃんがちらりとこちらを見て、去っていく。僕は少し呆れたような態度で、「わかりました。違うところで仕事をします。」と返事をした。

 

 料理もおいしいし、タブレジさん一家の雰囲気も好きだったので、仕事ができないことになったのは残念だ。

 

 僕の経済状態がインド人の彼らからすると、ぬるま湯で、助けるに値しないと思われたのだと思う。

 

 タブレジさんはかつてバンガロールのタージホテルでシェフをしていた。そして1991年、一人のオーストラリア人に出会い、オーストラリアでレストランを開いてほしいと頼まれたという。そして、サンダルを履いて、20ドルをポケットに入れて、ブリスベンに来て仕事を始めたと言っていた。そして今ではオーストラリアの中産階級くらいの経済力を持っている。ただ、普通の中産階級とは違い、もとが普通のインドのホテルで働くおじさんなのである。

 

 成功を経験したという自信や、オーストラリアに移住するという決断、下手な英語で何とか生活してきた苦労、などは僕からしたら想像を絶する経験に思える。

 

 タブレジさんにとって僕は、よく働くが、所詮は日本のいいとこボンボンに過ぎなかったと思う。

 

モーティマハルで働くためには、タブレジさんにとって普通の経済状態になり、最低限のお金だけもらうか、経済的に自立して、ただ勉強させてもらうかの2択ではないかと思う。

 

今後どうするかをまた考え直そう。

 

ユッスー・ンドゥールのSetを聴きながらビールを飲んでいる。