右手が酷くしびれる

10月5日

 

 8時半に起き、小便を済ませ、8時35分に家を出て、8時40分の電車に飛び乗った。

 

 電車の中ではカレーに関する本を読んでいる。『カレーの奥義』という本の中で、「日本人とインド人では、カレーに求めることが、うま味なのか、スパイスのハーモニーなのかという違いがある。」という一文を見つけた。『スパイスの科学』という本には、「同じ種類の臭いがするスパイスを複数使うと、薬臭さが緩和される。」と書いてあった。

 この2つの文は共通した部分があるのではないか。同じ種類の臭いのスパイスを複数入れて、カレーを作れば、薬臭さがなくなり、おいしくなるのではないか。50種類くらいのスパイスを混ぜるシェフがいると聞くが、まずは今わかっていることをもとに、カレーを作って、多くのインド人と共にカレーを食べて、経験を積もう。インド人が好むスパイスのハーモニーとは何なのか突き止めよう。

 9時半からのテイクアウェイ店の仕事ではタンドーリーチキンのマリネ、マスターグレービー作りなどを行った。  

 

 3時半までのシフトを終え、次の店のシフトまでの間、セントラルステーション駅近くの図書館へ。道中で、ボトルショップを見つけ、ビールを1本購入。ケータイでMonseiur Perineというコロンビアのバンドを聴きながらビールを飲み干す。天気がよく、気持ちいい。  

 

 そして今、図書館で書いている。6時からのバイトはひたすら皿洗いである。マジでつまらないので、先週の日曜日に辞めたいから他のキッチンハンドを探してくれと伝えた。そのバイト先のボスは、僕の給料を3週間分未払いしている。いつも優しく話しかけてくるが、とにかく給料を払ってほしい。

 

ビール

10月4日

 

今住んでいる部屋では、お酒を飲むことが禁止されている。

 

なぜなら、シェアフラットのマネージャーがムスリムで、8人住んでいるフラットメイトのうち、6人はムスリムだからである。

 

同じ部屋のシャランは、ヒンドゥーでお酒を飲むが、ビールを飲むとお腹が痛くなるらしく、飲みたいときに誘っても、あまりノリがよくない。

 

だから、ボトルショップに行って、4本で10ドルのビールを買って、アパートの庭で、隠れて飲んでいる。

 

昨日は祝日で約4週間ぶりの休日。フラットメイトたちとロイヤルナショナルパークへ行きバーバーベキューをした。デリーワーラー、ムンバイワーラー、ラホールワーラーの友達が新たにできた。 とにかくいろんな人に会って、何か感じる人と話しまくろう。 

 

公園に着くと、早速みんなはクリケット始めた。

 

僕に順番が回ってきたので、野球の構えで打席になった。2球ほどボール球を見送って、3球目にフルスイングをした。

 

分厚い板のようなクリケットのバットは重く、かなり振り遅れた。これは空振りだとスイング前からなんとなくわかった。

 

重いバットを体の前まで振ったところで、急にバットが軽くなり、全身の力が抜けた。バットが弾に当たる感覚はなかったが、何かが僕の手元から飛んでいく感じがした。

 

バットを振りぬいた僕の手にはバットのグリップだけが残っていた。何が起こったのかよく理解できなかったが、サード方向に顔を上げると、真っ青になった友達の顔があった。 僕の振ったバットの重くて暑い板の部分はグリップ部分からすっぽ抜け、サード方向へ飛んで行っていたのだった。

 

幸い、誰にもバットがぶつかることはなく、笑い話ですんだ。みんなが笑っていたので僕も笑ってごまかした。 あと10日ほどで夜に働いているレストランを去ることになったので、その後、また、新たな展開がはじまりそうである。早く辞めてゆっくり、じっくり物語を進めたい。

 

クリケット大会はバットが壊れてしまったので終了となった。

しびれ

9月28日 

 

相変わらず、毎朝、手がしびれている。

 

ルームメイトのシャランにアーユルベディック・クリームをもらったのでそれを塗りながら、マッサージしている。  

 

先日、サモサを揚げているときに、油が顔に飛び、額に大きなやけどを負ってしまった。一緒に働いているジャティンデルに「俺の額どうなってる?」と聞くと、「ナイスビンディー!」と言って笑ってくれた。  

 

仕事の時間が長すぎて、シェアハウスの掃除やご飯作りができないでいる。スケジュールを変えないといけない。

 

何かしっくりいっていなかったら、とにかく環境を変えて、移動し続けたい。今日はこれからレストランにやめたいという意思を表明しようと思う。

タンドーリーチキン

9月21日

 

 月曜日から金曜日の9:40-15:10にテイクアウト店、水曜日の17:30-22:30にレストランという日程で働いている。

 

 ナーンを焼く技術が上がり、ガーリックナーン、チーズも焼けるようになってきた。加えて、ナーンの生地の作り方、タンドーリーチキンの作り方が大体わかってきた。サモサ、パコラ、タマリンドソース、ミントソースくらいの作り方を覚えて、他のレストランにタンドーリーシェフとして雇われたい。

 

 夜に働いている店は、皿洗いを基本的にやらされてる。スチールのトレーを洗うときに、手に傷ができる。右手には小さい切り傷が7個できている。

 

 フライパンや、鍋を洗うときに取っ手をつかむせいで、手のひらも少し痛い。最近、朝起きると両手がむくんで、しびれている。

 

 引っ越しをしてから、ベッドがなく、床に毛布を強いてそれにくるまって寝ている。自分で自分に腕枕をするような体勢で寝ていると、手がすぐにしびれる。

 

 後に2週間くらいで夜に働いているレストランをやめようかと思っている。ゆっくりな生活をして、だらだらしたい。

 

 一日中インド人たちと暮らしているせいで楽しい事が起きまくっている。

 

 ルームメートのシャランは、肌を白くするために、少し太りたいらしい。

 

 どういうことかというと、彼は子供の頃、肌が白くふくよかな体型だったらしい。しかし、大人になるにつれ、痩せていき、肌の面積が狭くなり、色素が凝縮され、次第に肌全体が黒くなっていったらしい。

 

 白い肌のほうがモテるから、太って肌を白くして、彼女を作りたいらしい。太れば肌は絶対に白くなっていくらしい。

 

 シャランは真面目な顔で話していたが、僕はじんわりと込み上げてきた笑いをこらえきれず、爆笑してしまった。

 

 爆笑する僕を見たシャランはなんだか満足そうだった。

 

 

 

 

カシミール

9月20日  

 

 一昨日、キングスクロスの安宿生活を離れ、Auburnという郊外の町に引っ越した。

 

 駅から徒歩で7分ほどにある、5階建ての小ぶりなマンションのようなところで、僕以外には、3人のパキスタン人と、4人のインド人が住んでいる。パキスタン人はカラチから2人、ラホールから1人。インド人は、カシュミールから2人、ラクナウから1人、バンガロールから1人というような感じである。  今日は、カシュミール出身の2人がみんなのためにマトンカレーを作っていた。

 

 ただの家庭料理だと言っていたが、カレーのソースとマトンの煮込みを別々の鍋で丁寧に作っていた。クミン、カレーリーフ、唐辛子を熱い油の中に入れ、薄く切った玉ねぎを炒める。生姜、ニンニクをみじん切りしたものを入れ、ターメリックコリアンダーと続けて入れていく。玉ねぎがあめ色になった頃に、トマトソースを加えさらに煮込む。  

 

 マトンは圧力鍋にマトン、水、ターメリック、ソーンフ、生姜、ニンニク、塩を入れ圧力鍋が湯気を吹くまで煮込む。ゆで汁少しとマトンをソースと混ぜ、煮込み、完成。  

 

 チャパティを作ってくれと頼まれたので、作った。生地をテーブルに打ち付けて捏ねる音や、手の平で生地をのばす音を出した時に、みんながようやく僕がインド料理屋で働いていることを理解したようだった。一口食べて、「実家を思い出す!」と言っていた。

 

 もっと時間があるときに、時間をかけていろいろ作りたいと思う。

Bombay 2 Mumbai

8月20日

 

 最近、Bombay 2 Mumbaiというお店でも働き始めた。ナンとカレーで20ドルくらいの少し高いインド料理屋である。若い二人のシェフと学生のバイトが店のメンバーである。かっこいいインド音楽がかかっていて、テーブルには、真っ白いクロスが敷かれている。

 前から働いているテイクアウト店の女の子、ジャティンドラが紹介してくれて、仕事にありついた。テイクアウト店では、ナンを毎日焼いている。ゆっくりではあるが、上達してきている。

 Bombay 2 Mumbaiのタンドーリーシェフは今週で店を去るようなので、代わりに僕がタンドーリーシェフとして働けないか、聞いてみようと思う。

 タンドール窯の優れた点の一つに、短時間で、大量のナンを焼けるということがある。タンドールの達人は、一度に10枚以上のナンを焼くことができるらしい。今のところ2枚が限界である。生地をのばすのに時間がかかってしまう。Youtubeで見つけた、ナンを速く焼くおじさんのようになるには、だいぶ時間がかかりそうだ。

  どこか郊外に部屋を見つけたいと思っている。ジャティンドラが住んでいるような、週に80ドルで、節約して過ごしている人が多いエリアに住みたい。情報を集めて、早めに移りたい。

 今住んでいるバックパッカーには、シドニーに来て以来ずっと住んでいる。おそらくシドニーで一番安い宿。たくさん友達ができたが、彼らと飲んだり、踊ったり、ふざけたりすることは、なかなか楽しい。次の家が決まったら、仲のいい友達を呼んで、カレーパーティーを開きたい。

日本の影響

8月15日 

 

 4日間の日本滞在中に起こったこと。

 

 村の雰囲気は、革命を起こしたい村長のエネルギーに村の民たちが共鳴しているという感じである。しかし、どれくらい共鳴しているのかと言えば、不明である。僕自身も、今気づくことが多く、村における自分の行動を後悔したりしている。

 

 村では、とにかく何でも許される。だからそれをわかって、”lively up yourself”することが一つの目標ではないかと思う。日本社会においても、”lively up yourself”することが求められていると思う。もっと力を抜かなければ、この窮屈感からは解放されない。

 

 僕が持つ問題意識とは、以上に書いたようなことである。そしてこれから、目指す答えは路上にあると考えている。試したことがないからわからないが、路上で音楽を奏でれば、世界の本当の響きが返ってくるだろう。自分の肌全体で、世界を知覚することができるだろう。だから、これから3月までは、音楽を奏でることを日常の一部として行っていく。宿で、路上で音を鳴らし、いろんな人と話す。お金をせびる。どこにいようとこれを続ける。

 

 もう一つの答えへの道として、インド研究と語学を続けて行いたい。インド研究と語学の道を進むために、イスラエルに行きたいと思っている。インド研究に関しては、今まで通り、インド料理屋で勉強を続ける。僕のヒンディー語とインド料理屋での経験があれば、すぐに働ける場所が見つかるだろう。イスラエルヒンドゥー教のインド人が多いと聞く。そこで何が起こっているのか、ぜひ見てみたい。

 

 語学の道に関しては、「新たな言語に触れることをやめるべきではない。」と考えている。イスラエルのウルバンに学生ビザを出してもらい、学校をほどほどに、路上でヘブライ語を勉強する。僕のイスラエリー、ロシアンジュー、フレンチジューの友人たちは特に音楽に敏感な人たちである。Yemen Bluesを教えてくれたコーレン、「死んだミュージシャンしか聞かない。」というエリー、インド時代の友人でジャズドラマーのサーシャ。

 

 楽しそうなことが起きそうな雰囲気である。アラブ人たちと各国から移民してきた人々。文化に敏感な人々。政治、経済。それから歴史。これらをイスラエルの路上で感じたい。感じてもっと”lively up yourself”したい。  経済的な課題を解決し、イスラエルに関する情報をかき集め、計画を具体的にしていかなくては行けない。シドニーで起こっていることや、起こりつつあることをほどほどに、踊りながら計画を進めよう。