日曜日はチルアウト

6月12日

 

 アドベンチャースクールは経済的に自立することを第1ステップとしている。僕はそれがまだ果たせていなくて、もたもたしている。

 

 ただ経済的に自立するだけであれば、ファームに行って畑仕事をするか、あるいは、街で重労働をすれば済むことである。しかし、それでは同じ宿にいるワーホリバスターズと同じことをしているだけで、ちっとも脱俗的でも超俗的でもない。だから、今、ブライアンと相談していて、いかにやりたいことをやり続け、経済的に自立するかについて考えている。近々またブライアンに会うことができそうだ。楽しみである。

 

 僕はよく、自分がアドベンチャースクールに参加しているということを忘れ、FIA村とか村長とか本当にあるのかないのかわからなくなる時がある。しかし、パソコンにはASというフォルダーがあり、その中には「誓約書」というファイルがある。そこには以下のようなことが書いてある。

 

・<2016 Adventure School 理念とデザイン>を深く理解することに努めます。

・自分の根源的な部分を見つめなおし、一年間で人間力を大きく飛躍させることに努めます。

・恥を捨て、自分の未熟さを知り、世界のやさしさに感動し、涙するような経験を追い求めます。

 

 「理念とデザイン」を読み返すと、「受け身ではなく、 自ら何かを仕掛けていく」というふうに書いてある。そして2番目と3番目は自分で考えて宣言したことである。簡単な言葉で、大変なことが書いてある。

 

 ASとかFIAとか気にしすぎず、ブライアンと相談してやりたいことをやればいいのだと思う。

旦那方

6月9日

 

 人と話すときの自分の態度について考えている。インド料理屋の2人のシェフは話し相手に感情移入することに長けていると思う。少し前にムハンマドとマスジッドに行ったときにも何人かの人たちと話をしたが、リラックスした人たちばかりで、自分が未熟に思えた。

 

 ココという宿で出会ったフランス人青年もいい態度をしていると思う。英語はほぼ初心者なのに、オーストラリア人のストリップガールから電話番号を教えてもらい、2人で出かけたりもしている。

 

 数週間前に、路上でお酒を飲んでいるアボリジナルのおじさんたちと話した時は、全然会話が成立しなかったが、楽しい時間を過ごせた。冗談で怒ったふりをしたアボリジナルのおじさんに僕が本気でひるんだりしても、次の瞬間には笑って楽しい気分になった。

 

 なんとなくこれからしばらくは楽しい雰囲気で過ごせそうな予感がしている。少なくともラマダン中は今の雰囲気で過ごしたい。今やっていることが楽しいことなのではないかと思っている。

 

 今日からラマダンのようなことをしている。7時半に朝食を食べ、昼にコーラを一杯。17時10分までは飲まず食わず。カットフルーツが楽しみである。少しずつ本物のラマダンに近づけていこう。

 

 村の旦那方にお金に関して相談を持ち掛けようと思う。旦那たちにお金を払わせたいと思わせる作戦を練らなければいけないと思う。

 

 今昼休み。近所の図書館でBeirutを聴いている。

ラマダン

6月8日

 

 朝、レストランに着くと、タブレジさんとサベルさんはとても眠そうな顔をしている。「ラマダン、ムバーラク!」とあいさつをすると、微笑みを返してくれた。いつものように野菜を切り、各種の肉を煮込んだ。いつも通りの仕事の所々で、いつも通りではない仕事を任された。ラマダン中の二人のシェフは5時から17時の間、食べることも飲むこともできないため、肉の硬さチェックと味見を僕が任された。なんとなく緊張しながら味見をした。

 

 寝不足の2人に「どれくらい寝たのですか?大丈夫ですか?」と訊くと、「22時から1時まで寝て、お祈りをして、3時から7時くらいまで寝たよ。ほんの1か月だけだから大丈夫だよ。」と言っていた。昼休みにも少し寝ると言っていた。

 

 夕方5時頃になると2人のシェフは店の入り口のほうに歩いていき、少しそわそわし始めた。そして5時10分頃、「時間だ。」と言って、冷蔵庫からカットフルーツの盛り合わせ、ちゃな豆ときゅうりに塩を振ったもの、ヨーグルトなどを出して、僕を呼び、楽しく一緒に食べた。2人が店の入り口でそわそわしていたのは日没を確認するためだったのである。

 

 かつてインドを旅行していた時もラマダン中のお兄さんたちが日没後にカットフルーツを食べていたのを見たことがあったが、オーストラリアで50歳前後のおじさんが二人で日没後にカットフルーツを楽しんでいるのを目の当たりにできたのはうれしかった。やっぱり僕もラマダンごっこをして2人のシェフと共にカットフルーツを楽しみたいと思った。

 

 サベルさんは家族のためにお土産としてチキンチーズナンを作っていた。ラマダンの月は、毎晩少し豪華なものを食べると嬉しそうに言っていた。金曜日にはマスジッドに食べ物を持っていき無料でふるまうらしい。イードの日には近くのイスラミックスクールの校庭でBBQパーティーも行われると言っていた。そして大きなマスジッドの周辺は祈りに行く人々で2時間ほどの渋滞ができるとも言っていた。

 

 イスラム音楽を聴ける機会はないかと思い、「ラマダン中にマスジッドでコンサートとか詩を歌う会とかないのですか?」と訊いたが、「ない。結婚式の時は少しあるかな。」と言う答えが返ってきた。タブレジさんは行きつけのマスジッドブリスベンに6か所ほどあり、そのうちのどれかに気分で祈りに行っているようである。そして、いろいろな人とおしゃべりを楽しんで、祈る。

 

 寝不足と空腹状態で1か月過ごすラマダンというお祭りは心と身体にとって健康的なことだと思う。ラマダンをお祭りと言って良いのかわからないが、ラマダンを行う人々はとても楽しそうにしているし、訊くと「ラマダンは楽しいよ。」と言う答えが返ってくる。一方でラマダンはつらいことだから、10歳くらいまでの子供は行わないし、旅行中の人が免除されたりもしている。シェフの2人は寝不足と空腹を楽しんでいるようにも見える。なんとも面白い習慣だ。

 

 僕なりの距離感でこれから1か月のラマダンを楽しもうと思う。

復帰

6月6日

 

 前回のシフトから10日後にあたる、今週水曜日から、インド料理屋の仕事を再開する予定である。

 

 前回のシフトから今日までは、宿でビリヤードをし、図書館に行き、夜はビールを飲むというような生活を送った。

 

 スコットというスコットランド人青年と、タツキさんという流暢な英語を話す日本人が特にうまく球を突いていたので、何度か勝負を挑み、技を盗んだ。

 

 スコットはフレッドペリーのジャケットをはおり、リーバイスのズボンにアディダスのスニーカーというような恰好をしていて、オアシスとか、ストーンローゼズが好きそうな見た目である。しかし実際は、「ビートルズは許すけど、オアシスのようなポップスは好きではない。クラッシュとかセックスピストルズは好きだよ。」と言っていた。あとで、スミスとバセリンズはどう思うか聞いてみよう。「バセリンズはいいけど、スミスはダメ。」というような返事が返ってくるのではないかと思う。ロックの本場に生まれた青年の意見は面白い。僕もこれからは「オアシスなんて言うポップミュージックは好きではない。」というスタンスで生きていこうと思う。

 

 タツキさんは高校サッカー全国大会に出場した経験を持ち、英語もかなり流暢に話す。一緒にビリヤードをしていると、サッカーの話が尽きない。タツキさんの英語は二年間の英語のみの生活によって培われたものらしい。すらすらしゃべれるのは確かにかっこいいと思う。ただ、しゃべりが流暢ではないが、聞き取る能力が十分で、風変わりな英語で会話をするというのもかっこいいと思う。

 

 図書館では一人で住める部屋をネットで探したり、ブリスベンのことをあれこれ調べたり、少し本を読んだり、ただネットサーフィンをしたりした。一人部屋を早く見つけるべきだと思う。ちょっと宿での生活が窮屈になってきている。同じ部屋の人と仲良くなれそうにない。移動して環境を変えて気分転換したい。「日本人はいい人たちだ。」と言って話しかけてきたドイツ人青年にもなぜか少し腹が立っている。「日本人はいい人たちだ。」と言われ、反射的に「どこの国でもいい人と悪い人がいる。」と思ってしまった。どうでもいいことに腹を立て始めている。週末までに引っ越したい。

 

 宿をシェアハウスに変えて気分転換したいと思っているこの頃だが、週末はお酒を飲んで楽しく過ごせた。金曜日はココというフランス人青年と共に彼の友達の家に遊びに行った。ローマストリートパークに立つ13階建てのマンションの最上階で、安いワインを飲んだ。午前2時頃、ココは酔っ払い、「ハングリージャックスに行こう。」と言い出す。雨の中二人で真夜中のブリスベンを歩く。ココはDJでベーシスト。夜の街をココと歩くのは楽しい。夜中のハングリージャックスはうまい。「これ以上飲むとストリップクラブに行って、コカインをやって、数百ドル失うことになるから帰ろう。」とココがまんざらでもない表情で言うので宿へ向かった。

 

 土曜日は、ココと共に宿のパーティに参加。二次会で近くのLefty’sというバーへ。ロカビリーやカントリーのバンドが演奏していた。お客さんは会社員が多かったのではないかと思う。何人かと話したが、会社員だという人が多かった。半ズボンでキャップをかぶったおじさんも何人かいたが、なんとなく浮かされているような気がした。ちょっとgoody-goodyした雰囲気のバーだった。ココは以前にストリップクラブで接待してもらった女の子に偶然遭遇し、電話番号を交換していた。

 

日曜日はココとスコットと三人で、シティーバックパッカーというところに遊びに行った。ココとバーなどによくあるサッカーゲームを行った。彼のパスをつなぐ技術に翻弄された。宿内の小さなバーだったが、ライブミュージックもあり、なかなかいい雰囲気。ギターの弾き語りをしていたのは、土曜の夜に見たバンドのギタリストだった。スコットはウィスキーコークをピッチャーで頼み、「みんなで飲もう。」と言っておごってくれた。スコットと話していると、英語しか話せない人の不安や異文化に対する好奇心のようなものを感じることができる。母語以外の言語を話す経験がない、しかし英語が母語であるがゆえに、異国の人々と不自由なく話せるというのも悪くないと思う。スコットが日本に来たら、本当に戸惑うだろうし、いい経験もできるのではないかと思う。生まれ変わったらスコットになって、日本語を勉強して、日本に留学したい。

休み

5月31日

 

 休みながら、今後について考えている。

 

 昨日の夜はコウイチさんという若い日本人の庭師と話をしていた。コウイチさんはフライフィッシングが趣味で、タスマニアで釣りをするためにオーストラリアに来たらしい。これからミカン畑にお金を稼ぎに行くと言っていた。ひと月で30万円から40万円くらい稼げるところらしい。なんとなくオーストラリアでワーキングホリデイをする意味が分かってきた。

 

 やっぱり、インド料理屋で修業したい。いま、ダモ鈴木のインタヴューを聞いている。彼は料理が好きみたいだ。次はヒンドゥー系のレストランで働きたい。音楽とお酒が好きなシェフの下で修業したい。街をうろうろして、面白いインド人を見つけ、そこからレストランへと進んでいけば、いい店が見つかるのではないかと思う。

 

  明日は、シティセンターのインド料理屋を冷やかしながら仕事を探す。週末は、光に群がる虫たちのように、良い音楽に誘われてふらふらする。明後日から始まるJAZZフェスティバルの情報もしっかり収集しよう。

今後の予定

5月30日 

 

 これからどうしようか考えている。ブリスベン到着後30日以内に仕事を見つけて自立するように、村のお役人さん方から言われているので、その約束だけは果たさないといけない。来月7日で到着後30日となる。

 

 今日は朝ご飯を食べ、少々書見。『ジプシーを訪ねて』という本を読み始めた。前書きには「ジプシーの存在とその生き方は、現代の世界が抱える危機を乗り越える処方にはならないかもしれないが、人生を全く違った視点からとらえなおすきっかけになる」と書いてある。

 

 ジプシーの起源については、彼らの話す言語の研究が進むに従い、ますます、5~10世紀のインド北西部起源という説が有力になっているらしい。

 

 少しこの本を読んだところで、次の仕事もインド料理屋のキッチンにしたいと思った。その後も、どこか違う国に行ってインド料理屋で働きたいというような妄想もした。

 

 モーティマハルインディアンレストランの店員さんたちは経済的な豊かさを求めてオーストラリアにやってきて、今ではオーストラリアの永住権も持っている。当たり前だがジプシーとは違う。しかし、インドレストランの店員さんたちと付き合っていると、ぶらぶらお散歩することが好きだし、非日常のようなものを歓迎する態度もあるように思う。そういうところはジプシーたちと共通しているのではないかと思う。

 

 今後は他のインド料理屋で働くか、ほかの仕事とモーティマハルを掛け持ちするかして何とか経済的問題を解決していこうと思う。経済レベルを下げて、本当にインド人たちのように生活するというのも悪くはないが、ブリスベンの音楽を楽しんだり、いろんな人と飲みに行ったりしたいので、経済レベルを落としたくない。

 

 焦らず楽しくやっていこうと思う。

インディアンレストランの経済

5月28日 

 

 シフト終了後に、「6月からお給料をください。」と単刀を直入。するとタブレジさんは困った表情をし、「君にお金は払えない。」と言う。タブレジさんの予想外の反応に僕も少し焦り、「見習いをしている間は払わないが、仕事を覚えてきたら払うと言ったじゃないですか。」と抗議。しかし、「そんなことを言った覚えはない。勉強するためのみ、君は私のレストランに来ることができる。我々のビジネスが苦しいこともわかっているだろ。」と言って一歩も譲らない。娘のヌゼラちゃんがちらりとこちらを見て、去っていく。僕は少し呆れたような態度で、「わかりました。違うところで仕事をします。」と返事をした。

 

 料理もおいしいし、タブレジさん一家の雰囲気も好きだったので、仕事ができないことになったのは残念だ。

 

 僕の経済状態がインド人の彼らからすると、ぬるま湯で、助けるに値しないと思われたのだと思う。

 

 タブレジさんはかつてバンガロールのタージホテルでシェフをしていた。そして1991年、一人のオーストラリア人に出会い、オーストラリアでレストランを開いてほしいと頼まれたという。そして、サンダルを履いて、20ドルをポケットに入れて、ブリスベンに来て仕事を始めたと言っていた。そして今ではオーストラリアの中産階級くらいの経済力を持っている。ただ、普通の中産階級とは違い、もとが普通のインドのホテルで働くおじさんなのである。

 

 成功を経験したという自信や、オーストラリアに移住するという決断、下手な英語で何とか生活してきた苦労、などは僕からしたら想像を絶する経験に思える。

 

 タブレジさんにとって僕は、よく働くが、所詮は日本のいいとこボンボンに過ぎなかったと思う。

 

モーティマハルで働くためには、タブレジさんにとって普通の経済状態になり、最低限のお金だけもらうか、経済的に自立して、ただ勉強させてもらうかの2択ではないかと思う。

 

今後どうするかをまた考え直そう。

 

ユッスー・ンドゥールのSetを聴きながらビールを飲んでいる。