タブレジさん

7月3日

 

 昼休みにタブレジさんの家にお邪魔した。インドのテレビ番組をつけてくれた。ブレイキングニュースでダッカのテロ事件について報道していた。中国人か日本人が人質として捕まっているということだった。ネットで関連した情報を調べると、テロリスト集団は安倍総理のISISへの対応を踏まえ、日本を敵だとみなしているというような記事もあった。

 

 最後のシフトだったのでタブレジさんの人生について詳しくいろいろ聞いた。コルカタの小さな村に生まれ、学校に数年通い、家の畑仕事を手伝い、その後16歳でバンガロールに出稼ぎに出た。まず、6年間小さなレストランで働いた。その6年はとても大変な期間だったらしく、工事中のビルの警備員さんにお金を払い、中に住ませてもらっていたと言っていた。それから料理の免許を取り、チェンナイのレストラン、ホテルを経て、バンガロールのタージホテルのポストについた。タージホテルはムビースターなどが泊まるホテルであるらしい。タージホテルではシェフが90人ほどいて、その中で何度か賞をとたこともあるらしい。

 

 いろんな国のインド料理屋が、タージホテルで働く腕のいいシェフをヘッドハンティングに来るらしい。タブレジさんは一度日本のレストランからもオファーをもらったが、ポークカレーを出す店だったために断ったと言っていた。いろいろな国のインド料理屋をインターネットで検索すると、タージホテル出身のシェフが働いているという情報が頻繁に見つかる。タージホテルから世界に広がるネットワークはとても広そうである。もっと詳しく調べてみたい。

 

 別れの挨拶はとても気持ちよかった。これからもインド料理を勉強し続ける予定であることを伝えると応援してくれた。サベルさんは別れを惜しむのが苦手なタイプだった。「それではまた。インシャアッラー。」と言って気持ちよく退職。

Iftar

7月2日 

 

ラマダンのための断食を終える時間をイフタール。

 

ボスのタブレジさんに、「ビリヤーニをマスジッドに届けてくれ。」頼まれ、息子のタスリムと共に夕方5時10分のイフタールに、近くのMasjid Taquaに行った。

 

 ブリスベンで何度かマスジッドへ行ったが、いつもインドネシア人に話しかけられ、それをきっかけにコミュニティーへ溶け込んでいく感じだった。今回も同様で、マスジッド到着後すぐにインドネシア人に話しかけられ、ビリヤーニを届けに来たということを話すと歓迎された。

 

 フルーツの盛り合わせを配膳するのを手伝っていると5時10分になり、断食を終了。デーツという干し柿のようなものを最初に食べる。昨日から、マスジッドに行く予定を立てていたので、僕も朝にお茶を飲んで以降、断食していた。フルーツの盛り合わせを食べるとおいしすぎて笑顔になってしまう。断食は味覚を敏感にしてくれる。

 

 フルーツの後、礼拝。いつもならマスジッド内の隅で人々が祈る姿を眺めるだけだが、今日はタスリムが一緒に祈ろうと誘ってくれたので祈った。祈っている間はタスリムのことを考えていた。NRI二世のタスリムは普通の学校へ行き、喧嘩や恋愛の西洋的あり方を知っている。そして彼はマスジッドへはあまり行きたくないという。タスリムの悩みは深い。励ましてあげるのがとても難しい。

 

 礼拝の後、我々モーティー・マハル・レストランが寄付するビリヤーニを配膳。子供からおじいさんまでおいしそうに食べていた。朝から我々モーティ・マハルが長時間かけて作ったかいがあった。ビリヤーニは手間のかかる料理である。

 

 レストランに戻り、ビリヤーニが好評だったことをタブレジさんに伝えると、喜んでいた。そして「今日は飯食って帰りな。」と優しく言ってくれる。明日のシフトを最後にシドニーへ行くということを確認し、今日の仕事を終えた。シドニーへ行ってからもモーティ・マハルとは連絡をとり続けたい。明日はいい感じのお別れをしたい。

シドニー

6月28日 

 

 シドニーに移ろうと思っている。マスジッドで出会ったマルフが、シドニーで仕事を探す協力をしてくれている。

 

シドニーではオーストラリア人と親しくなる努力をしたい。今日宿で出会ったマンチェスター育ちの青年に、オーストラリアと日本とどちらが好きかと聞かれ、答えに悩んだ。日本のほうが好きだと即答したが、オーストラリアのことも日本のことも分からないことばかりで、答えを出すのが難しい。もっと勉強しなくてはいけない。

 

 バックパッカーに住んでいると、僕が日本でどれだけ偏った人と話しているのか実感する。

 

村上春樹ジブリのアニメが好きなオーストラリア人、ウディに「村上春樹は好き?」と聞かれ、とりあえず「好き。」と答えた。そして、「オーストラリア人の作家を教えて。」と尋ねると、「Tim Winton、Geraldine Brookes、Tim Flanery、Helen Caldercott」と頑張って思い出すように教えてくれた。「なんでオーストラリア人の作家が知りたいの?」と質問を返され、「わざわざオーストラリアまで来たので、オーストラリアのことがもっと知りたいと思っている。その国を知るために、その国の作家についても多少知りたかった。」と答えた。続けて、「ブルース・チャトウィンの『ソングラインズ』知ってる?」と訊くと、「知らない。」という答えが返ってきた。

 

宿で会った多くの友達が、オーストラリアのワーキングホリデーの後、東南アジアを旅行すると言う。「どうして東南アジアなのか。」と訊くと、「安い。」という。「南アジア、中東、東ヨーロッパも安いじゃん?」と訊くと、なんとなく面倒くさい質問をあしらうような感じになる。

 

宿で会った友達に「最近仕事はどう?」と聞かれ、「ムスリムの仕事仲間とラマダンの時を過ごすのは楽しいよ。毎日夕方5時10分にパーティーだよ。」と答えると会話が終わった。

 

人それぞれ何が重要な情報であるかは大きく違う。それを忘れないことが重要。広くいろいろな情報を気にすることも大切だと思う。

タンドール

6月26日 

 

 初めてタンドールの中に手を突っ込み、ナンを焼いた。あまり熱さは感じなかったが、手は赤くなった。指に微妙に生えている毛は残っている。タブレジさんとサベルさんの右腕は、日々タンドールに腕を突っ込んでいるせいで、腕毛が焼けてなくなり、つるつるになっている。徐々にタンドールの奥深くまで手を突っ込み、二人のように右腕をつるつるにしたい。

 

 仕事後にタブレジさんの19歳の息子、タスリムとチキンサーグワーラーを食べながら話す。タスリムは高校時代、1人の女の子を巡って友達と殴り合いの喧嘩をし、20日間の謹慎処分を受けたことがあると言っていた。父であるタブレジさんは特にタスリムを責めることはなかったという。

 

 レストランでの日々のおしゃべりからは、同僚たちの意外な一面を知ることができる。想像できない話ばかりで、毎日驚いている。思い返せばタブレジさんも、オプタスからかかってくる電話に対して怒鳴り散らしていることがあった。もしかしたら、喧嘩っ早い親子なのかもしれない。

 

 「また来週の水曜日に!」と言って店を去るとき、タブレジさんに呼び止められ、少々お小遣いをもらった。帰り道はディスコクラシックのセプテンバーを聴きながら帰った。

ハムドゥリッラー

6月25日 

 

 来週の水曜日でモーティーマハルを去ろうと考えている。去って、シドニーに移動して、インド料理屋を探そうと考えている。

 

 一昨日、オーナー兼シェフのタブレジさんの14歳の娘、ヌゼラとゆっくり話をした。タブレジさん一家は2、3年に一度、2か月程度、コルカタに里帰りしている。そのことについてヌゼラに訊くと、楽しそうにいろいろ答えてくれた。タブレジさんは、コルカタの田舎に、ベッドルーム10部屋、バスルーム3部屋の大きな家を建てた。そこには親戚がたくさん住んでいる。どれくらい田舎かと言うと、ショッピングモールも、スーパーもなく、女性は自由に外を歩くことができず、ヒンディー語が話せない人も多いくらい田舎らしい。

 

 率直に、インドは好きか尋ねると、好きだと言っていた。それを聞いてなぜかすごく嬉しくなった。「インドにいるときは、何をして過ごしていたの?」と訊くと、「家でゴロゴロして、親戚とおしゃべりして、家事を手伝う。家でごろごろしているのが好きだから、外に自由に出られなくても楽しいよ。」とヌゼラ。将来、インドに住みたいかどうか訊くと、「自由で、良い教育が受けられるオーストラリアのほうがやっぱり好き。」と言っていた。

 

 タブレジさんはヌゼラに「好きなことを勉強していいよ。」と言っているらしい。学校の成績がとても良いヌゼラだが、「将来は化学か生物が勉強したい。でも4年も大学に通うのは嫌だ。」と言っていた。ヌゼラの人生を映画にしたい。

 

 今日はラマダン終了10分前くらいに、僕にモーティーマハルを紹介してくれた友人、マルフが来店した。仕事はどうかと聞かれたので、楽しくやっていると伝えた。マルフは断食終了後のために、チキンサーグワーラーを注文していた。断食後にチキンサーグワーラーを食べるなんて、ダンディーだと思う。ブリスベンを離れる前に、マルフとムハンマドにお礼がしたい。一緒に断食して、マスジッドに行って、モーティーマハルで一服とかしたい。

Uke Afternoon

6月21

 

 昼過ぎに、リバプール出身の青年、ウェインとウクレレセッションをした。彼はギターを7年ほどやっていて、最近、旅行のためにウクレレを買ったと言っていた。7年ギターをやっていただけあってかなりうまかった。スパニッシュミュージックのコードを教えてもらった。僕が適当なコードの循環を弾くと、それにこたえてすごいテクニックを出し始めた。ウクレレを通してあいさつ程度の簡単な会話をしている感じがあった。僕の挨拶はぎこちなかったし、不躾でもあったと思う。もっと精神を音楽的な感じに持っていけばテクニックはあんまり関係なくなると思う。もっとましな演奏がしたかった。

 

 ウェインは、10代の後半になってビートルズが好きになり始めたと言っていた。素直な人物のかっこいいエピソードに思えた。僕はビートルズが好きで、インドに留学したという話をすると、変わった出来事を目撃したようなリアクションをしていた。音楽の話をいろいろしていると、「ジェイク・シャンバクーロって知ってる?」とウェインが訊いてきた。僕らはウクレレを片手に話をしていたので、ジェイクと聞いた瞬間、ジェイク・シマブクロが頭に浮かんだ。ウェインがシャンバクーロと言った時の表情を思い出すと少しニヤニヤしてしまう。

 

 ステイト・ライブラリー・オブ・クイーンズランドにてここまで書き、ブライアンに会うために、シティーセンターに向かった。

 

 今は宿で書いている。ブライアンと話したことをオートマティスム的に書きたいが、いつも思考が邪魔してしまう。ので、しょうがないから、考えながら、思い出しながら書く。

 

 ブライアンと会い、簡単な挨拶を終え、近くの中華料理屋に適当に入る。ブライアンはトムヤムヌードル、僕はチャーシュー丼のようなものをオーダー。そして席に着き、早速アドベンチャースクールに関する話を開始。

 

 僕が送ったメールを見て、悪くない考え方をしているとブライアンは言う。

 

・今の仕事を続けながら、他の仕事もする。

宿で掃除をして、宿代を免除してもらう。

  月曜と、火曜がオフなので、その間仕事をしてお金を稼ぐ。

 

・場所を変えて、他のインド料理屋で働く。ちゃんと給料の交渉をする。

  シドニーに行って、マンディル、マスジッド経由で、インド料理屋での職を見つける。場所を替え、これまでの経験を活かし、ベターな環境を探す。

 

FIA村で、何らかのプレゼンテーションをしてインド料理屋をフィールドワークするためのスポンサーになってもらう。

 

 1番初めのアイデアは何も楽しそうではないので却下。そして3番目はまだ時期ではないとなんとなく思う。なので、2番目を実行しつつ、なるべく早く、しかし焦らずに、3番目の機会をうかがうというようなことを考えている。もう少しインド料理に関する基礎的な知識、技術を身に着けてから3番目に進みたい。

 

 ブライアンは「3番目をトライする価値はある。動画や写真などを駆使して、何か人の心を動かすようなことをすればいい。ただ本当に村長のさじ加減ですべては決まるので、どうなるかはわからない。」と言っていた。ブライアンの話はいつも僕をワクワクさせる。

 

 数か月シドニーのインド料理屋で働き、知識と技術を身に着け、ドバイに飛びたい。そして料理の腕にさらなる磨きをかけ、あこがれのインドに行きたい。ブライアン曰く、心を動かす大胆さとともに、密な計画を立てる繊細さも重要。じっくり作戦を練ろう。

Uke Night

6月20日

 

 夜は、Lefty’sでハンバーガーとビール。R&Rバンドが演奏していた。

 

 宿に戻り、無性にウクレレが弾きたくなったので、ビリヤード台の前でいきなり鳴らした。数人の友達の前で、ベイルートを数曲プレイ。トランペットのパートをカズーで演奏。みんな楽しんでくれた。人々の間の壁、人間の壁に亀裂を入れることができたと思う。人間の壁は頭の中にある。もっと練習して壁を壊したい。練習が必要。ウクレレを弾いている間は、腹の痙攣が止まらなかった。

 

 いつもはベッドの上で練習しているが、昨日は少し広いスペースで弾いたので、響き方が気持ちよかった。路上で思いっきり歌ってみたいと思う。歌うにはもっと覚悟が必要。酒を飲んで、ステージを少しずつ変えていこう。路上でお金を稼げるようになりたい。日本に帰ってからもやりたい。

 

 周りで聞いていてくれた人に、どんな音楽が好きなのか尋ねまくった。聞き取り調査の結果、西欧では、ジャズやロックはあまり人気ではなく、エレクトロとか、ハウスとか、テクノなどの音楽が人気だということが分かった。

 

 ジャズとか、ファンクとか、ロックとか、死んだミュージシャンとかが好きだという人とはすぐに仲良くなれる。もし僕が、エレクトロとか、ハウスとか、テクノが好きでも、同じ好みの人と仲良くなれるのだろうか。多分仲良くなれる。というか今のままでも仲良くなれる。ココは半分テクノオタクみたいな感じだったし、彼の話は興味深かった。気になるのは、なんとなく適当に、エレクトロとか、ハウスとか、テクノが好きと言って踊らない人。逆にあんまり音楽に興味ないんだよね、と言う感じの人には興味をそそられる。